風化しない曲

2011.3.11のこと

あの日は仕事を定時で退社、交通機関の復旧を待たずに歩いて帰る事を選び自宅までどれくらいかかっただろうか。

(知る限りでは夕刻の都バス・都電は運行していた、深夜だが都営大江戸線も運転再開)

珍しくめったに履かないブーツで出勤していたため途中ホームセンターに寄り靴底に鉄板?の入った安全靴と履き替え、長い人の列に合流した。みな同じ方角を目指して歩く。会社から支給されたのかヘルメットに長靴手袋の人も僅かにいたけれど、私をはじめ皆ほぼ朝の通勤時と変わらない普段着だった。携帯はすぐに繋がっていたため遠方からのメールや電話に応対しながら3月とはいえ寒さが残る夜道をてくてく歩いた。歩きながら幾つもの気掛かりが頭のなかをぐるぐる回っていた。自宅がどの程度影響を受けているのか?疎遠になっている友人知人の安否と生後6ヶ月の甥家族の心的ショックはいかばかりか。。それから地震直後全く何の対処もできずただ狼狽えるばかりの私に不安を口にした後輩へ的確な指示や言葉掛けができなかった自分の裁量の無さに嫌気がさしていた。とにかく不安は増すばかり、俯いていた。

 

しばらく歩いていると知った道に出た。

学生の頃知り合った旧友とお喋りしながら商店街を食べ歩きしたり庭園で休憩しながら気づけば8時間以上歩いた道だった。知らない夜道を歩く不安から楽しい思い出の道へ出たとき幾分気分が和らいだ。周りの声が漏れ聞こえてくる。会社の話、家族の話、都電は走ってるらしい事、、見渡せば楽しそうに笑っている人が目につく。話す事で不安を和らげていたのかもしれないが何だか勝手ながら連帯感のようなものを抱いた。またしばらくすると道が二手にわかれ、またしばらくすると分岐して、、人の列は細くなってゆく。その度に一時の同志のような気持ちで背中を見送った。

 

思いがけずあの日この道を歩いていて良かった、思い出に救われた。おバカな事で笑って美味しいものの話で好みを深めあって恋バナに花を咲かせて最後はよくぞ8時間歩き通した!とお互いを讃えあった。同じ道。

 

寒さが厳しくなりかじかんだ手でポストを開けると恩師から季節の挨拶が書かれたハガキが届いていた。当時文通のような蜜なやり取りをしていた先生から達筆な字で数日前の日常と結びに身体を気遣う言葉が添えられていた。読んだ瞬間ほっとしてそれまで緊張で凝り固まっていた身体が一気にほぐれるようだった。日常の尊さが身に沁みた。あの日あのタイミングで届いたハガキは大袈裟ではなく奇跡、宝物エピソードのひとつだ。

自宅はエレベーターが使えなかった以外は特に変化なし。ライフライン問題なし、お茶碗やお皿が数枚欠けたくらい。物が散乱しているのは元からだし笑

 

あの日からしばらく物流が滞り血眼になって探したものとかあったけれど、その度に人に助けられた。当時仲良かった子とご飯食べに行ってお互い顔を見て安心したのも懐かしい思い出。

 

心残りは東北へボランティアへ行きたいなと思いつつ勇気がなかった事。だから、ある時から毎年のように東北を旅して応援してる。いまでは東北は肌に合うような気がするよ。寒いのは勘弁だけどさ笑 あの当時できなかった事もあるけれど、今そしてこれから先も旅や民芸品や物産展で東北を応援したい。

 

桜流し、風化しない、いい曲だね

いつか植樹された桜が咲くころ訪れてみたい

 

追伸、改めて植樹のことを調べてみた

花束を君に、に因んだプロジェクトでした

失礼しました!

(個人的には3.11レクイエムは桜流しです)