奈良・京都3泊4日いつかを叶える旅2日目午前
この坂を上れば聖林寺!
東洋のヴィーナスこと十一面観音に興味が湧いたきっかけは前回紹介した白洲正子の本だった。(実は途中まで読んで積読)
天平時代(760年代造とする説が有力)の乾漆の名作とされたこの観音像は三輪神社の神宮寺でひっそりと祀ってあったそうで、それが現在の一級品、国宝指定を受けるまでになった経緯には一人のアメリカ人フェノロサの存在が欠かせません。明治の※廃仏毀釈運動(1868年〜)の際にアメリカの哲学者であり美術への造詣が深かったことから日本政府の要請を受け来日し文化財の調査中だったフェノロサが同寺を訪れ十一面観音を発見、あまりの見事さとそれに似つかわしくない粗末な扱いを放っておけず救出。フェノロサと住職の皆で観音像を荷車に乗せ坂を上り今の聖林寺へと運んだというこの逸話がとても好き。その後フェノロサの貢献により古社寺保存法という法律と「国宝」という概念が生み出され、のちの国宝指定の最初のひとつになったのがこの十一面観音。救出劇に国宝指定されたまでついてくる激アツぶりが私の好奇心に飛び火してフェノロサと岡倉天心と白洲正子とたくさんの先人が歩いたこの聖林寺へと続く同じ道をいつか歩いてご対面願おうと思っていた。
※廃仏毀釈とは..
日本史辞典.comより引用
"神仏分離令などの実施によっておこった寺院や仏像・仏具などの破壊運動のことです。
全国的な寺院に対する破壊行為や藩による寺領の没収などにより仏教は大打撃を受けました。
神道分離令の目的は神と仏を分離することで仏を破壊することではありませんでしたが、極端な破壊行為につながった地域もありました。"
引用おわり
現在は本堂とは別に観音堂が建てられている
階段を登り最近建て替えられたお堂へ
室内は撮影禁止
この日は終始ほかの拝観者と顔を合わせることはなかった。厳かな空間に観音像と私だけ。近づいたり離れたり一通り見入った後椅子に腰かけ白洲正子の本を開きこの十一面観音との出会いを読み返す、時々顔をあげては観音様がデンと視界いっぱいに入るしあわせ。次のバスまでの1時間滞在した。
穏やかなお顔とふくよかな胴体、指先まで美しいポーズは心を静かにそして豊かにしてくれた。こんな贅沢な時間を過ごせるなんて幸せの極みだなとしみじみ思った。ちょっと大袈裟だけどこの像の誕生から一千年以上が経過し時の大河となった観音様の悠久の一滴として私も混ぜていただいたように思う。観音様のこれまでの大きな時の流れに私の今と未来が一時合流し共有させていただいた事実!
旅からひと月が過ぎ冒険家で写真家の星野道夫の言葉を思い出している
「僕たちが毎日を生きている瞬間、もうひとつの時間が、確実に、ゆったりと流れている。日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか、それは、天と地の差ほど大きい。」
旅をする木より
十一面観音との出会い、なんとも心強い思いでになった。また訪ねよう。